とひぶろぐ(続)

だいたい手品日記

2007年06月

ファンタジウム

モーニング2に連載の奇術漫画「ファンタジウム」1巻読了。
「ダブルフェイス」あたりでは添え物的な要素であったので、ここまで真っ向から奇術に対峙する漫画は久しぶりであるように思う。

某マジックランドっぽい奇術用品店の間取りに不必要にデジャブを覚え、舞台奇術コンテストに昨今の火気にまつわる風刺を不必要に感じ、何というか、その他諸々不必要に愉しむ。

主人公はトムクルーズもそうであったらしいところの難読症に悩む天才奇術少年であるのだが、穿ち読むにつまり、奇術は才能で行う物だと言うことであり、どれだけ本を読んだかとかそういったことは本質ではないと言うことであろうかと、少し自らの感受性の歪みを自覚する。しかしそれはそれとして識字率ほぼ100%前提で組み上がっている現代日本社会に於いては、その境遇はさぞ挑戦を必要とする物であろうなと。

マジシャンだけでは生きていけないという話は本当だと思った。
マジックを趣味にする人にも数人会ったが社会的信用の薄い職業に人生を捧げる勇気も自信も無いのは明白だった。


そう言われても、一番効率よく生計を立てられると考えた方法が手品ではなかったのだから仕方あるまい。
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ノダメ

漫画では「のだめカンタービレ」最新刊も読み終わる。

なんというか、少し前に読み始めて最近は新刊が出たら続きを読んでいる感じなのでありますが、なぜ同じくとても西洋的なところから影響を受けた芸術芸能の一分野同士であるにかかわらず、少なくともこの国に音大と略されるところの音楽大学はあっても手大と略されてしかるべき手品大学はないのか、しかしもしあったらそれはそれでどうなるのか、「日本でやってても仕方ないぐらい飛行機消せるけど乗れないから渡欧無理」的手大生奇術師とかが闊歩するかなり素敵な世の中になるのか、と。

しかしそういった素敵手大生が存在しないからには、窮極的に二者択一を迫られたら、タワーレコードの策略によりNO MUSIC NO LIFEとは雖もそれ以上にNO MAGIC NO LIFEであるところの僕としては音楽よりも手品であるのだが世の需要は実はもしかしたらこういった傾向を慮るにひょっとして逆なのか、と乖離感。

音楽以外に美術とか、文学部から文学以外のいくつかを除くところの文学とかを含めて、突き詰めれば個人の趣味とか嗜好としか言いようがないところではないのではないかと思うところに対し、手品に比べれば少なからず公による教育支援が社会に存在すると言うことに、世の中の役に立つってどういう事なのかしら、生産的ってどういう事なのかしら、僕の払った住民税所得税その他諸々に払ったお金のうちいくらぐらいがこういうところに使われていつかどこかで回り回って何かしらの形で僕を文化的な意味で豊かにしてくれて、それ以外のどのぐらいがそれ以外のとても実学実用的なところに使われて僕をそれ以外の意味で豊かにしてくれて、それ以外のいくらぐらいの可処分所得で僕は奇術を愉しんでいるのかしらといった辺りに、音楽とかそのあたりの日向にある文化の何というか学問とか職業とかとして成り立っている具合に、大学に居た頃は手品そっちのけで将来的に手品にいろいろをつぎ込むぐらいはできるようせめて奇術研究の合本ぐらいは買えるよう生計を立てられるような術を身につけるべくそれはそれはとても実学的なことを手がけているところに属していたような記憶があったような気がするので、無い物ねだりの嫉妬寧ろ羨望。そしてそういったところからは学ばなかった人たち、場合によってはそういったところが今や学ぶ対象としている人たちによる音楽や文学や美術からも、十八分に感動を受けることができている事実に少し安堵。別に手大など無くてもいいのかも知れない。

結論としては、絶対音感はいらないけれども、絶対手品感があればいいのにな、と思いました。世の中の全ての物が手品に思える感覚。…既にわりとみんなして大体そんな感じだよな、と。

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読書の初夏

ちょっとここしばらく、職場でも家でもプログラミング続きだったので今晩は読書そして飲酒。カシス酒があったので白くて安いワインをキールにして嗜む。そんなに強い酒ではないけれども、瓶一本空けるとさすがにいい気分である。


講談社学術文庫のくどいとも言えるほどに丁寧に解説が付いているのではなぜかいつまでも読み終わらないので岩波文庫で「孫子」読了。さて何と戦ってみようかしらと仮想的敵索敵。とりあえずここ数年敗北し放題の夏の暑さあたりと戦ってみようと思う。岩手ぐらいまで行けば負けずに済むのかも知れない。水肩土足。


あと読みかけの本では、仕事柄というわけではないのだけれども金田一京助「日本語の変遷」が、家業が日本語言語学というのはさもすればとても生きていきにくそうであるなとか思いつつもとても面白く。演繹するためでなく帰納されたものとしての文法という物の考え方はみんな知っておくべきであると思うのだけれども計算機科学的にはそのあたりを元に演繹したいのであるよな、と。

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今週末は

エルムズレイのAmbitious Strangerをなぞってみるつもりがなぜかデータベースの開発をしていた。

その合間に福岡伸一「生物と無生物のあいだ」を読了。
小説めいた文体。
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物欲を発揮してみた。

直立二足歩行を始めたときから、人類は腰痛を患うようになったとか何とか聞いたことがありますが、ただ横になって寝てるだけでも腰を痛められる僕はもしかしたら人類の文明とか文化とか進化とかの最先端にいるのではなかろうか。



それはさておき、本業で読んでおきたい技術書を概ね一通り買い揃えられたからであろうか、少し経済的に余裕ができたような(気がした(気がした))ので、先日の沢さんの本に続き、手品資料を久しぶりに買ってみました。



フィツキーの理論書三部作他、一度読んでみたかった絶版洋書を電子書籍で何点か。ここから。ディスプレイで英語を読むと涙が出てくるので、いずれレーザープリンタを買って製本しようと思います。



やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいって言うよね、と言うことで奇術研究復刻第一期をついに注文してしまい案の定絶賛後悔中でありますが、思いあまって三期とも注文したりはさすがにしなかった僕はもしかしたら鉄の意志とか理性とかの持ち主ではないだろうかしらと以下略。これはいずれそのうち到着の予定。wktk



ここ数年の手品道具洋書DVDその他諸々の購入先では扱ってない物を、別のお店から購入。数年ぶり。とりあえずGiacomo BertiniとDavid Stoneはいろいろな意味でおかしいと思った(讃辞)。

あとどうもやはりコイン手品者の嗜みとしては、Doverの古い方ペーパーバックではいけないようなので、BoboのNew Modern Coin Magicを購入。とりあえずFive Coins and a Glassで言及されてたHorowitz (Bey)の手順辺りから見てみようかと。そのうち。



その中で、今回一番の目的は、Guy HollingworthのDrawing Room Deceptionでありそこに収められているReformationなのでありました。

一時、このジャンルつまり「トーンアンドレストアードそしてトランスポジションしないカード」に手を出そうとした時期があり、結局レパートリーとして定着はしなかったのでありますが、それはそれとしてRoutinesで演技だけ見て以来、いつかは押さえておきたかった手順であったのでありました。

某後輩が何か練習とか研究とかしてみたいというのでこの辺を一通り押さえてみてはどうかとけしかけてみてるうちに久しぶりに自分でもやりたくなったので、今回ついうっかり確信的に衝動で購入してしまったのであり、届いては早速読みなぞり、まずはそのハンドリングへの考えの深さに酔ったのでありました。当時追えなかったのも道理であります。

見た目からは全く予想も付かず意外なことでしたが、本では言及されている通り、僕も昔いくつか覚えた中で好きで時々やっていたJ.C.Wagnerの(残念ながら3/4だけ)繋がる手順"Torn and Restored Card"の正当な発展系という印象を受けたりしてみました。

で、さて、自分でこの種類の何かをやってみるにあたっては、丁度二年ほど前に買って上手さに感歎しつつそのまま放置していたDaniel GarciaのTORNといい具合に配合をしてみたくまずはこれも痛む腰を据えてじっくりと見返してみたのでありました。さしあたりAdvanced Handlingとされているところまで見て、今までYves DoumergueのRipped and Restoredと原理的にはそう変わらないと思いこんでいたりそれはいいのかしらどうなのかしらとさえ思っていたところをまず改めたり。

その辺りを踏まえて、考えてみたり、具体的に何考えたかはここでは内緒だったり、混ぜたような手順を組んでみたり、手順組んでみたり、練習してみたり、某所にうpしてみたり。

それはそれとして、David CopperfieldがやっているのはChris Kennerの作品らしいですが、篦棒に不思議。多分あれはこのあたりと根の方で違うのだろうなあ。
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