とひぶろぐ(続)

だいたい手品日記

2009年05月

アで始まるあの

島の蛸焼き屋台にアンドラスのドラゴン(組立済)が飾ってあり、そういう筋の人かと思い声を掛けてみようかと思ったら、ジェリー・アンドラスの顔と手品は出てくるのに名前がその場ではどうしても出てこなくて焦る。アードネスとかジョン・コーネリアスとかを経て漸く出てきたときには機を逸していた。が、最近まあネットの方々で見かけるし、特にそういう筋の人と言うこともないのだろうと思った。



アマゾン市場でガードナーの本を買う。
三分冊の内、一冊しか持ってなかった数学ギャラリーシリーズとAha Gotcha/Insight。
Aha面白い。



Professional Magic Made Easyを読んでみたくなったが訳書の方が安く手に入ることが分かり「あなたも魔術師になれる」を購入。
半世紀前の本であり、手持ちの本の中では相当古い部類に入るがいい手品が載っている。


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rendition

という語が英語にある。
手品好きならばアマーのClassic Renditionsシリーズなどで目にしているかも知れない。

辞書を引けば「演奏」「翻訳」「演出」「公演」などといった訳語が振られてはいるが、どうも「自分なりの解釈を行った上で演ずる」というニュアンスがあるようである。日本語でぴったりと対応する語が中々思い当たらないが。

CGなどのレンダリングのrenderの名詞形であることも考えるとわかりやすいかも知れない。あれも、数値などデータを解釈して描画するから、単にペイントと呼ばず区別されるのである。

クラシックやあるいはまだそうではないとしても他の人の手品に対しては、そういった姿勢で向かい合いたいものだと思った。幸いなことに、音楽の方のそれと違って、多少は変えても怒られない。



まあ、上級者向け手品ばかりやっていては説得力皆無なのであるが。



とりあえず今エルムズレイのAmbitious Strangerを読み込み中である。
前にも何度か挑んでみたことはあったが。

あのエルムズレイを以てしても、現象を実現するには流れがごたごたしているところは否めない。そこをどうにかできないものかと試行錯誤している。

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マーカ・テンドーさんと言えば

何かの会にゲストとしてお越しで、「今の人は手品を趣味でやることができるのが羨ましい。僕らの頃はプロになるしかなかった。」と言う旨のことを仰っていたのが記憶に残っている。(振り返って考えるにステージマジックに限っての話だったかも知れないが。)

「では存分に趣味としての手品をやろうではないか」と思ったのであったその気持ちをふと思い出した。



あとどれぐらい時間が残っているのかそう分かったものではなく、多分百年もないはずであり五十年だって相当に厳しく、そうするとそろそろ折り返し点辺りにいそうな、あるいはもう既に越えていそうな気がしてならない。
節制とかしないことにしているし。

実のところ数年先でさえ、生きてはいるのではないかという想像はできるがどこで何をやっているのかかなり想像の付かない暮らしでもある。

もしかしたら残りの時間はものすごく少ないのかも知れぬ。
上級者向け手品とか仕事とかしてる場合ではないのかも知れぬ。
仕事はした方がよいのかも知れぬ。

ひとまずカードカレッジをちゃんと読むことにした。明日から。

とりあえず明日は今日と同じように過ごせるものと頭のどこか底の方で考えているようではあることに安心もしてみたが、今どうかしてしまうと遺作というかダレイの倣いで言うところのラストトリックがあれになることに気がつき戦慄した。

急いで何か作らねばならない。

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観た。

「七瀬ふたたび」を見終わる。

途中から原作を離れた超展開なのかと思いきや意外なほどに忠実なバッドエンド具合に驚いたが手加減を感じた辺りは国営放送だからか。

それはそれとして良い糸を使っているなと思った。(何にかは秘密だ。)
消しているのかも知れない。

話が逸れたが音楽がとても川井憲次めいていた。



「パプリカ」とか「パーフェクトブルー」とかが狂っていて面白かったので「千年女優」も借りてきていたので観たので狂っていて面白かった
前に観た二つよりも好みに合ったが、なぜかと思うに描いていた狂気に悪意が極端に薄かったからかも知れない。

悪意と狂気とは根の近いものであり、悪意に満ちた狂気というのは少なくともフィクションに於いてはサイコホラーな色々に割と満ち溢れ、ありふれているとさえ言え、また根の近さ故に理解可能な領域に近い。
そうでないところから来ている無駄で理由のない狂気、これはむしろ希少であり、必要性が薄いとはつまり理解から遠いところにあるが故に面白い気がするのである。繰り返すがフィクションに於いては。

(例:沢さんのコイン

ということで追われて匿われて逃げて追いかけられたりしたくなったりしたのであったが、最後の一言「あたしはあの人を追いかけるあたしが好きなんだもの」で興が冷めてゲンナリとしたが、まあそういうことを言いたい映画だったのであろうなと思うとともに、昔々に端から見て「手品が好きというよりも、手品をしている自分が好きなのであろうな」と思わざるを得なかった人たち何人かのことを思い出した。

なぜかその殆どが女性なのであった(女性の殆どがそうだったと言うのではなくそれは論理的に異なる言及である)が、おそらくはこういうものの見方を偏見と言うのであり、その証拠として自らも、手品はまあここを読んでるようなみんなほどではないにしても無論それなりに人並みには好きであるが、手品をしている自分のことだってやはり好きなのである。

話が逸れたが音楽がとても平沢進めいていたというか全編通してロタティオンであり今後はiPodでも違う色合いで聞こえそうな勢い。なんかこう、黄土色というか黄灰色が乗ってくるような具合に。

次は「妄想代理人」辺りを借りてこようと思った。

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上級者

に認定される。 ●4点



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